歌でも楽器でも「うまくなりたい」のは正直なところ。上達を目指すのは素敵なことですよね。それで、ではその先に、いったいどんな演奏があるのかな?と考えたりします。
ものすごく速いパッセージをミスなく弾きこなすのがいい演奏?
声や音が大きかったらすごい?
菅弦楽器や歌なら、音程が合っていれば素晴らしい?
「心がこもっている」のがいい?
どれも良さそうですね。超絶技巧をいともたやすく弾いているなんてとてもカッコ良いし、表現力豊かに歌い上げられれば、もらい泣きしてしまいます。
CDをたくさん出しているクラシックの大家の演奏はいかがでしょうか。ストイックさに心を打たれたりもしますが、なんとなく神がかっていて、少し距離感があったりとか、うまいんだけど、なんだか心に刺さらないような時もあります。演奏者と聴く人との相性なのでしょうか。同じ人でも、日によって感じ方が違うこともありますしね。
学生時代は、とにかくたくさん「いい演奏」を聴けと言われました。それで、名の知れたピアニストのCDを買ったり借りたりしてたくさん聴いたものの、その演奏はどこかよそよそしくて、技術的にはすごいのだけどなんだかピンときませんでした。まぁ私の耳が未熟だったのかもしれません。しかしライブは少し違いました。血の通った人間が同じ空間で紡ぎ出す音は、ぞくぞくするようなものがありました。あちらも百戦錬磨とはいえ相当なプレッシャーと緊張感の中ですべてを賭けて演奏しますから、そういうものは確実に伝わってきます。
・・とはいえ。なんだかそういうのではない。笑
「いい演奏」は「すごい演奏」とも何か違うような・・・?
成長途中の、例えば小学生の演奏がとても心に染みる時があります。技術的にもまだだし、特に音楽性がどうということもなく、豊かな人生経験が反映されているのでもなく、それなのになんだかとても美しいときがあって、これはいったいなんだろう?と思うのです。
「うまくなりたい」という想いからくるひたむきさ?
間違えないようにと一生懸命、気をつけて弾いているから?
その人の考える「そのフレーズはこういう風に弾きたい」が反映されているから?
どれもありそうです。その作品のあるがままにシンプルに向き合っているからこその美しさなのかもしれません。技術的にうまいというよりは、その作品のそのままを素直に表そうと努力しているところから、美しさは生まれてくるのかも。つっかえても弾き直しても、なんだかじーんとくる演奏。
なんとなく、ずっとピアノを習っていたり練習を続けたりしていると、そつなく「こなす」ことがカッコいいと感じてしまいがちですが、それだけではないなと反省します。教師として、もちろん技術的なことは指導しなくちゃならないんだけれども、機械みたいに規則正しく弾くことだけを求めるのはなんだか違う、ということを忘れずにいなければ!
AIやロボットが活躍する時代に求められるのは、かけがえのなさ、その人がその時にしか表せない何か、なのかもしれません。情報は限りなくたくさんあり、いつでもどこでもなんでも手に入る時代には、一期一会の出会いや、その瞬間にしか立ち現れないなにか、が大きな価値を持ってくるのでしょう。
さまざまな条件が重なったときの、美しさや感動をとらえられる感性を失わないようにしたいなぁと思います^^慌ただしい毎日の生活のなかではなかなかむずかしいかもしれないけれどもね。
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